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京阪橋本駅前のマンション計画はどうなった?橋本陣屋跡の保存問題を解説

京阪橋本駅前のマンション計画はどうなった?橋本陣屋跡の保存問題を解説 個別開発・土地利用

橋本駅を利用していると、駅の南側にある広い土地がずっと気になります。

「ここ、マンションが建つ予定だったはずだけど、いつまでこの状態なんだろう?」

そう思っている人も多いのではないでしょうか。

結論から言うと、現在この土地は、当初予定されていたマンション建設をそのまま進める状況ではありません。

理由は、土地を掘ったところから、幕末の「橋本陣屋」のものとみられる石垣などが見つかったからです。

しかも、ただ昔の石垣が出てきたという話ではありません。

2024年の発掘調査では、古い絵図にも描かれていなかった全長約20mの石垣が確認されました。

その後、八幡市は「記録してから開発する」という方向から、遺構を地中に残す「現地保存」へ方針を転換。

2026年8月には、京都民報が「マンション建設が事実上不可能となった」と報じています。

つまり、橋本駅前で今起きているのは、

「マンション工事が遅れている」

というだけの話ではありません。

「ここを住宅地として開発するのか、それとも幕末の遺跡を残すのか」

という、まちづくりそのものの話に変わっています。

まず、マツモト前のマンションとは別の話

橋本駅の北側、マツモトの近くでは、現在マンション工事が進んでいます。

こちらを見て、

「駅前のマンション計画も、これが完成したら次に始まるのかな」

と思った人もいるかもしれません。

実は、この2つは別の計画です。

マツモト側で建設されているのは「ファインレジデンス楠葉中之芝」。

住所は大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目で、京阪橋本駅から徒歩5分。14階建て153戸のマンションで、工事完了は2028年1月下旬予定となっています。

一方、今回問題になっている土地は、京阪橋本駅の南側。

こちらは京都府八幡市橋本にあり、もともとは10階建て約190戸のマンション計画がありました。

駅を挟んで近いので同じ開発のように見えますが、実際には別の土地、別の計画です。

ここを分けて考えると、橋本駅前で何が起きているのかがかなり分かりやすくなります。

「所在地 大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目4502番(地番)」
「構造・規模 鉄筋コンクリート造 地上14階」
「総戸数 153戸」

出典:京阪電鉄不動産「ファインレジデンス楠葉中之芝」物件概要

駅南側には、本当にマンション計画があった

では、何もないように見える駅南側は、もともと何をつくる予定だったのでしょうか。

ここには、京阪電鉄不動産によるマンション計画がありました。

京都民報の報道によると、計画は10階建て、約190戸。

2025年5月の着工予定でした。

橋本駅前地区が今後どう変わる予定なのか、八幡市の大型開発一覧などは下記の記事で詳しく解説しています。
八幡市で今後変わる場所・開発計画|物流・産業・住宅・駅周辺の変化
八幡市の大型開発一覧|物流・住宅・商業・駅周辺の計画

ところが、予定地の発掘調査で状況が変わります。

実はこの場所、単なる空き地ではありませんでした。

江戸時代の終わりごろ、京都を守るためにつくられた「橋本陣屋」があった場所だったのです。

そして、発掘調査を進めるほど、その重要性が見えてきました。

「橋本駅前地区地区計画」
「面積 約2.3ha」
「ファミリー世帯向けの共同住宅を主体とした居住を誘導することで新たな生活や交流の拠点の形成を図る」

出典:八幡市「橋本駅前地区地区計画」

掘ってみたら、約160年前の「橋本陣屋」が出てきた

橋本陣屋がつくられたのは1860年。

幕末、外国船が木津川を遡って京都方面へ進入することを警戒し、京都を守るために幕府が設けた施設です。

現在の橋本駅周辺は、当時から京都防衛の重要な場所だったわけです。

そして2024年8月から11月に行われた発掘調査で、橋本陣屋の遺構が確認されました。

その中でも特に注目されたのが、約20mにわたって残っていた石垣です。

高さは約2m。

6段に積まれた石垣で、40~60cmほどの花崗岩が使われています。

さらに重要なのは、この石垣が当時の「陣屋見取図」に描かれていなかったことです。

つまり、現在残っている資料だけでは分からなかった橋本陣屋の構造が、実際の遺構から見えてきたということです。

「S3石垣 南北長約20m(西へ屈曲)」
「布積みの6段(一部落とし積み)」
「高さ約2mを測る」

出典:八幡市「橋本陣屋跡(第3-2次)発掘調査」

しかも、古い絵図にない石垣だった

ここが今回の話で一番重要なところです。

昔の建物跡が見つかった。

それだけなら、発掘調査をして記録を残し、その後に開発するという流れも考えられます。

ところが今回見つかった石垣は、単純に「古い資料に書かれているものを確認した」という話ではありません。

絵図に描かれていない石垣が、かなり良い状態で残っていました。

さらに2025年12月に範囲を広げて試掘したところ、その石垣が南側にも続いていることが確認されています。

これは、橋本陣屋について「昔の資料を読むだけでは分からないこと」がまだ残っている可能性を示しています。

日本考古学協会も、この遺構についてかなり強い評価をしています。

「絵図等に記載のない石垣・堀が良好な状態で残されていました」

「一帯に遺構がさらに展開する可能性も高く」

出典:日本考古学協会「京都府八幡市橋本陣屋跡の保存に関する要望書」

「陣屋」って、そもそも何だったのか

ここで少し歴史の話です。

「橋本陣屋」と言われても、そもそも陣屋が何なのか分からない人も多いと思います。

陣屋は、簡単に言えば、江戸時代に行政や警備などの拠点として使われた施設です。

橋本陣屋の場合は、普通の行政施設というより、幕末の京都を守るための軍事・警備上の意味が大きい場所でした。

1860年、幕府によって設置されています。

そして、この橋本陣屋を理解するうえで重要なのが、現在の枚方市に残る「楠葉台場」です。

橋本陣屋と楠葉台場は約500mしか離れていません。

さらに木津川の対岸には梶原台場もありました。

つまり、橋本駅周辺だけを見ていると「昔の施設が一つ出てきた」という印象になりますが、実際には木津川周辺に京都防衛のための施設が配置されていたわけです。

「橋本陣屋は、日本史の大きな転換期にあたる幕末万延元(1860)年に設置された陣屋です」

出典:日本考古学協会「京都府八幡市橋本陣屋跡の保存に関する要望書」

橋本陣屋と楠葉台場は、別々の遺跡ではなく「セット」で見ると分かりやすい

楠葉台場は現在、国指定史跡として保存されています。

一方、橋本陣屋はこれまで、その全体像が十分に分かっていたわけではありませんでした。

だから今回の発掘は、橋本陣屋単独の話にとどまりません。

幕末の木津川周辺で、京都をどのように守ろうとしていたのか。

その仕組みを考えるうえで、橋本陣屋の実物の遺構が残っていることに意味があります。

日本考古学協会も、橋本陣屋と楠葉台場を合わせた活用について言及しています。

「近接する楠葉台場跡は2011年、地元の要望を受け、国の史跡に指定されました」

「枚方市の楠葉台場と併せて利活用に取り組むことで地域活性化を促す文化資源」

出典:日本考古学協会「京都府八幡市橋本陣屋跡の保存に関する要望書」

橋本駅から楠葉台場までは歩いて行ける距離です。

そう考えると、

「橋本駅前に残る幕末の陣屋跡」

と

「木津川の向こう側に残る国指定史跡・楠葉台場」

を一体で見ることもできます。

なぜマンションを建てるのが難しくなったのか

ここは「文化財だからマンションを建ててはいけない」という単純な話ではありません。

ポイントは、現地保存です。

これまでの発掘調査では、開発によって遺跡が失われる場合、調査して記録を残すという方法が取られることがあります。

ところが今回、八幡市教育委員会は橋本陣屋跡について、記録保存ではなく現地保存の方向へ方針を転換しました。

2026年3月には京阪側へその方針を伝えたと京都民報が報じています。

そして、京阪電鉄不動産側は、遺構を地中に残す場合、マンションの基礎杭を打つことができないため、建設は技術的に難しいという説明をしています。

つまり、

現地保存を前提にすると、当初のマンション計画をそのまま進めることは難しい状況です。

「土地所有者(事業主)と協議を重ねながら、適切な形で保存できるよう検討してまいります」

出典:八幡市教育委員会「京都府八幡市橋本陣屋跡の保存に関する要望書に対する回答」

では、橋本駅前はどうなるのか

ここが一番気になるところです。

現時点で、「ここに公園ができます」と決まったわけではありません。

「マンション計画がなくなったから、すぐ史跡公園になる」という段階でもありません。

ただ、当初の計画から大きく方向が変わっていることは確かです。

もともと八幡市がつくっていた橋本駅前のまちづくりでは、駅の利便性を活かし、住宅や日常生活に必要な都市機能を誘導することが想定されていました。

駅前開発だけでなく、交差点の安全対策も進められてきた

橋本駅周辺では、駅前開発や歴史資産の保存だけでなく、道路環境の改善も進められてきました。

橋本駅南交差点、いわゆるスーパー「マツモト」前の交差点では、信号機が設置される以前から交通事故が発生していました。

八幡市議会は2020年6月29日、同交差点について、過去に人身事故4件、物損事故3件の計7件が発生しているとして、信号機の早期設置を求める意見書を可決しています。

また、2018年1月には、八幡市長と枚方市長が連名で信号機設置を要望していました。交差点が府境付近にあり、設置に向けて大阪府側との調整が必要だったことも、この問題の特徴です。

その後、2021年末に工事が進められ、2022年1月には信号機の設置が報じられました。

橋本駅周辺では、今後の開発だけでなく、既存の道路や交差点を安全に使うための整備も進められてきたことが分かります。

人口と世帯数から見る八幡市の変化

八幡市全体では人口が減少する一方、世帯数は増えているという変化も起きています。

駅前に住宅を増やすことが、実際の人口や世帯構成にどう影響するのかを見るうえでも、橋本駅前の動きは今後追っていきたいところです。

八幡市の人口と世帯数の推移については、以下の記事で詳しく整理しています。
八幡市の人口・世帯数推移|人口減少と世帯構造の変化

つまり、駅前の土地をそのまま放置するための計画ではありません。

住宅などを整備しながら、橋本駅周辺を新しい生活・交流拠点にしていく考え方です。

そこに今回、橋本陣屋という「想定していなかった歴史資産」が出てきた。

だから今後は、

「当初の駅前開発計画をどうするのか」

と

「発見された橋本陣屋跡をどう保存・活用するのか」

を一緒に考える必要が出てきたわけです。

実は、八幡市もまだ「最終形」を決めているわけではない

ここは記事としてかなり重要です。

2025年7月の八幡市教育委員会の回答を見ると、市有地については遺構を現地保存している一方、今回発掘された民有地については、土地所有者と協議しながら適切な保存方法を検討するとしています。

さらに史跡指定についても、追加調査を行ったうえで文化庁や京都府教育委員会と協議し、総合的に判断するとしています。

つまり、

「橋本陣屋を残す方向」

と

「具体的にどう残すのか」

は、まだ同じ話ではありません。

現時点では、遺構を残す方向へ大きく動いている。

その先に、

  • どこまで保存するのか
  • 市の文化財にするのか
  • 国史跡を目指すのか
  • 公開できる場所にするのか
  • 駅前のまちづくりとどう組み合わせるのか

といった問題が残っています。

「今後、詳細を明らかにするための調査を実施した後、文化庁や京都府教育委員会とも協議して総合的に判断してまいります」

出典:八幡市教育委員会「京都府八幡市橋本陣屋跡の保存に関する要望書に対する回答」

橋本駅前の「何も進んでいない土地」は、実はかなり特殊な場所になった

駅を利用しているだけなら、

「ずっと空き地みたいになっている」

という印象かもしれません。

でも、ここまで調べると見え方が変わります。

もともとは駅前開発の対象だった。

そこにマンション約190戸の計画があった。

ところが発掘すると、幕末の橋本陣屋の遺構が出てきた。

しかも、絵図に載っていなかった約20mの石垣が見つかった。

さらに調査を進めると、石垣が南側にも続いていることが分かった。

そして現在は、記録して終わらせるのではなく、現地に残す方向へ動いている。

これなら、単なる「マンション計画の延期」と考えるのは少し違います。

駅前の土地そのものの価値が、途中で変わってしまったとも言えます。

これから橋本駅前がどうなるかは、かなり注目しておきたい

個人的には、ここからが橋本駅前の本当のまちづくりのスタートなのではないかと思います。

もちろん、マンションがなくなったからといって、すぐに観光地になるわけではありません。

また、「ここに公園をつくればいい」と簡単に決められる話でもありません。

遺構をどこまで残すのか。

駅前という立地をどう使うのか。

周辺の道路や公園をどうするのか。

住宅や商業など、当初予定していた駅前機能をどうするのか。

そして、橋本陣屋と楠葉台場をどうつなげていくのか。

考えることはかなりあります。

ただ、少なくとも「マンションが建つまで待っている土地」ではなくなったことは確かです。

八幡市の橋本駅前には、約160年前の京都防衛の歴史を伝える遺構が、予想以上に良い状態で残っていた。

それが今回分かったことです。

「学術上きわめて重要な内容を有する」

出典:日本考古学協会「京都府八幡市橋本陣屋跡の保存に関する要望書」

橋本陣屋跡をめぐる今後の動き

2026年9月には、橋本陣屋と楠葉台場をテーマにした催しも

この問題は、すでに専門家の間だけの話でもありません。

2026年9月23日には、橋本陣屋や楠葉台場など、幕末の山城・摂津・河内国境地域をテーマにしたシンポジウムも橋本で開催されます。

橋本陣屋の発掘調査についても取り上げられる予定です。

今回の発掘をきっかけに、橋本陣屋が「昔、ここに何かあったらしい」という程度ではなく、幕末の京都防衛を考えるうえで重要な遺跡として注目され始めています。

結局、橋本駅前はどうなる?

現時点で一番正確にまとめるなら、こうです。

橋本駅南側には、もともと約190戸のマンション計画がありました。

しかし、発掘調査によって橋本陣屋の遺構が見つかり、その中には古い絵図にも描かれていなかった約20mの石垣も確認されました。

八幡市はその後、記録保存から現地保存へ方針を転換。

そのため、当初のマンション計画はそのまま進めることが難しくなっています。

ただし、

「ここに公園ができる」

「史跡公園として整備される」

「こういう施設ができる」

といった最終的な姿までは、まだ決まっていません。

むしろ今は、

「見つかった橋本陣屋をどう残すのか」

「それを橋本駅前のまちづくりにどう組み込むのか」

を考える段階です。

橋本駅を利用する人からすれば、長い間「何ができるんだろう」と思っていた土地。

その答えは、当初予定されていたマンションではなく、約160年前の橋本陣屋という思いもよらない歴史に変わりつつあります。

そして、この土地がどうなるかによって、橋本駅周辺のこれからの姿も変わってくる可能性があります。

今後、八幡市や京阪側から新しい方針が出れば、この記事も更新していきます。

八幡ビジネス通信 編集部

八幡市を中心とした企業・物流・求人・地域経済の情報を調査・整理しています。

物流・運送業界で約16年の実務経験があり、大型トラックによる輸送、倉庫管理、商品配置の改善、業務標準化、安全管理などを経験。

現場経験と公開情報をもとに、八幡経済圏の動きを分かりやすく発信します。

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