八幡市で長く営業していた店や会社がなくなった後、その場所がどうなるのかには、大きな違いがある。
建物を解体して更地にし、新しい用途へ変わっていく場所もあれば、営業を終えてから何年、何十年経っても建物が残り続ける場所もある。
その違いは、単純に「古くなったから壊す」「使わなくなったから放置する」という話ではない。
会社が存続しているのか。
土地を処分する必要があるのか。
建物を使っている別の事業者がいるのか。
解体費用を誰が負担するのか。
その土地を次に使いたい人がいるのか。
そして、その場所がこれからどのような地域になろうとしているのか。
こうした条件が重なって、廃業後の建物の行方が決まっていく。
その違いを見る材料になるのが、石清水八幡宮駅前にあったツジトミ八幡店と、橋本に残るホテル リベロだ。
さらに、ツジトミ閉店後もしばらく建物に残っていた「うれしの旅館」を加えると、企業の撤退、建物の解体、土地利用の変化が一本につながってくる。
- ツジトミ八幡店は2019年に閉店した
- 閉店から解体までは約5年かかった
- ツジトミ閉店後も、うれしの旅館が残っていた
- うれしのは「小さな旅館」だけではない
- ツジトミ側と、うれしの側では「場所」に対する意味が違ったかもしれない
- うれしの旅館は現在も情報だけが残っている
- 解体には費用がかかる
- それでもツジトミ跡地は、更地として動き始めた
- ここで、石清水八幡宮駅周辺の開発を見る必要がある
- 橋本駅前も動いている
- リベロは、その二つの駅の間にある
- リベロの土地には、別の可能性もある
- リベロは「壊せない土地」なのか、それとも「動かしていない土地」なのか
- リベロの現状を記録しておく意味
- そして、この記事自体が「次の所有者」への情報になる
- ツジトミとリベロは、正反対に見えて実は同じ問題を抱えている
- 「消えた会社」を追うと、その先に土地の物語がある
ツジトミ八幡店は2019年に閉店した
ツジトミは1980年創業の食品スーパーで、京都府南部を中心に店舗を展開していた。
八幡市八幡高坊10-7にあった八幡店は、2019年9月30日に閉店した。
→「八幡市駅前にあるスーパー「ツジトミ」が9月30日で閉店」枚方つーしん
→「スーパー「ツジトミ 八幡店」があった建物が解体されて、更地になってる。石清水八幡宮駅前【京都府八幡市】」山城地域の情報サイトALCO
ただし、この時点でツジトミという会社そのものが消えたわけではない。
当時のツジトミはすでに経営環境が厳しくなっており、2017年から2020年まで4期連続で赤字を計上していた。
売上高は2000年12月期の約52億円をピークに減少し、2012年12月期には約38億円、2020年12月期には約21億円まで縮小している。
八幡店の閉店も、単なる店舗の入れ替えではなく、会社全体の収益改善を目的とした動きの一つだった。
しかし、その後も経営は立て直せなかった。
2021年8月には京田辺市に新店舗を出店するなど事業継続への動きも見られたが、2022年9月30日に全店舗を閉店。
同年11月29日、ツジトミは破産手続開始決定を受けた。
負債は約12億1,400万円、債権者は583名だった。
つまり、八幡店の建物が最終的に解体された背景には、一店舗の閉店だけではなく、会社そのものが経営危機から破産・清算へ進んだという事情がある。
閉店から解体までは約5年かかった
ここで意外なのが、八幡店の建物がすぐには解体されなかったことだ。
八幡店が閉店したのは2019年9月。
しかし、解体工事が確認されたのは2024年12月だった。
約5年間、建物は残っていたことになる。
時系列を整理すると、
2019年9月
ツジトミ八幡店閉店
2021年8月
京田辺店を新規出店
2022年9月
全店舗閉店
2022年11月
破産手続開始
2024年9月
法人登記閉鎖
2024年12月
旧八幡店の解体工事開始
2025年
建物解体・更地化
2026年7月
タイムズ石清水八幡宮駅前として利用開始
となる。
「ツジトミが閉店したから建物を壊した」という単純な流れではない。
閉店後も建物が残り、その後に会社の破産や清算、不動産の処分などが進み、最終的に建物がなくなったと見る方が自然だ。
ツジトミ閉店後も、うれしの旅館が残っていた
さらに、この建物にはツジトミ以外の事業者も入っていた。
それが「うれしの旅館」だ。
ツジトミ閉店後の2021年ごろの記事では、建物の3階にある「旅館うれしの」が残っていると紹介されていた。
つまり、ツジトミが八幡店を閉めた時点で、建物全体が完全に役目を終えたわけではなかった。
ここは、建物のその後を考えるうえで重要なポイントになる。
建物を所有する側が「土地を処分したい」と考えていたとしても、実際にそこで営業している別の事業者が残っていれば、建物全体をすぐに取り壊せるとは限らない。
うれしの旅館がどのような契約で入居していたのか、解体までにどのような話し合いがあったのかは、現在確認できる公開資料からは分からない。
しかし、ツジトミ閉店後も、うれしのが営業を続けていたことは確認できる。
うれしのは「小さな旅館」だけではない
現在の八幡市観光協会のページでは、うれしの旅館について「ご宿泊おひとり様5,000円のこじんまりした片泊まりのお宿」と紹介されている。
石清水八幡宮駅から徒歩約1分、住所は八幡市八幡高坊10-7ツジトミビル3Fとされている。
確かに、現在の情報だけを見ると小規模な旅館に見える。
しかし、この旅館を単に「ツジトミビルに入っていた小規模事業者」とだけ見るのは、少し寂しい。
京都府の旅館業許可資料では、うれしの旅館の許可日は1983年10月8日とされている。
つまり、少なくとも40年以上にわたって八幡市で旅館業を営んできたことになる。
石清水八幡宮駅のすぐそばで、地域を訪れる宿泊客を受け入れてきた旅館だった。
そこには、単なる一テナントという以上に、
「八幡で長く旅館を営んできた」
という事業者としての歴史や誇りがあった可能性もある。
もちろん、実際に経営者がどのような思いを持っていたのかは、本人の証言がない以上、断定できない。
しかし、40年以上続いた旅館が、建物の解体とともにその場所から姿を消すという出来事を考えるなら、「小規模だったから簡単に移転できた」と考えるだけではなく、その場所で積み重ねてきた時間にも目を向ける必要がある。
ツジトミ側と、うれしの側では「場所」に対する意味が違ったかもしれない
ここからは仮説になる。
経営危機にあったツジトミ側から見れば、八幡店の建物と土地は、事業を続けるための資産から、最終的には処分して少しでも資金を回収するための資産へと意味が変わっていった可能性がある。
一方、うれしの旅館にとっては、そこは長年営業してきた場所だった。
ツジトミにとっては「処分すべき不動産」。
うれしのにとっては「長年営業してきた旅館」。
もし双方の考え方がこのように違っていたなら、建物を処分するまでに時間がかかったとしても不思議ではない。
さらに、旅館側にとって移転は簡単な話ではない。
新しい場所を探す。
設備を整える。
旅館業を続けるための手続きをする。
これまでの顧客との関係もある。
長年営業してきた場所を離れることには、経済的な問題だけではなく、事業者としての歴史を手放す意味もある。
実際にツジトミとうれしのの間でどのような交渉があったのかは分からない。
したがって「うれしのが解体に反対したため時間がかかった」といった断定はできない。
ただ、2019年の閉店から2024年の解体まで約5年という時間を考えると、会社の破産処理だけでなく、建物を利用する側の事情など、複数の要素が重なっていた可能性は考えておきたい。
うれしの旅館は現在も情報だけが残っている
さらに興味深いのが、建物がなくなった後も、うれしの旅館の情報が残っていることだ。
八幡市観光協会のページには、現在も旧住所での営業情報が掲載されている。
一方、建物そのものはすでに解体されている。
現在の公開情報だけでは、別の場所へ移転して営業していることも確認できない。
そのため、旧建物の解体とともに営業を終了した可能性が高いと考えられる。
ここにも、地域の事業者情報と実際の街の変化には時間差があるという問題が見える。
長年営業してきた旅館がなくなったことは、その建物の歴史の一部が失われたということでもある。
解体には費用がかかる
では、なぜツジトミの建物は最終的に解体されたのか。
大きな要素の一つとして考えられるのが、解体費だ。
土地が高く売れるからといって、必ずしも建物を壊した方が得とは限らない。
例えば、更地なら1億円で売れる土地でも、解体費が3,000万円かかれば、単純計算で残るのは7,000万円。
建物付きで6,500万円で売れるなら、差は500万円しかない。
逆に、建物付きでは買い手がつかず、更地にすれば1億円で売れるのであれば、解体費を負担してでも更地にする意味が出てくる。
重要なのは、
土地価格-解体費-その他の処分コスト
で考えることだ。
ツジトミ跡地の実際の解体費用は公開資料から確認できていない。
そのため、「数千万円かかった」と断定することはできない。
ただ、古い建物の解体では、建物本体だけでなく、アスベスト調査・除去、内装・設備撤去、廃棄物処理、近隣への安全対策などが費用に影響する。
「壊せば土地として高く売れる」というだけでは、解体の判断はできない。
それでもツジトミ跡地は、更地として動き始めた
旧ツジトミ跡地では、建物解体後に土地利用が大きく変わった。
現在確認できる売土地では、八幡高坊10-7周辺に、
197.55㎡、約59.75坪、8,980万円
227.66㎡、約68.86坪、1億330万円
184.83㎡、約55.91坪、6,800万円
などの売出価格が確認できる。
これらは成約価格ではなく、あくまで売出価格なので注意が必要だ。
しかし、少なくとも現在の市場では、この土地が「古いスーパー跡」ではなく、石清水八幡宮駅周辺の土地として評価されていることは分かる。
そして2026年7月には、跡地の一部が「タイムズ石清水八幡宮駅前」として25台の時間貸し駐車場になった。
つまり、
スーパー
↓
閉店
↓
空き建物
↓
建物解体
↓
更地
↓
駐車場・売土地
という変化が起きている。
企業がなくなった後、土地そのものが次の用途を探し始めたとも言える。
ここで、石清水八幡宮駅周辺の開発を見る必要がある
この土地を単純に「ツジトミ跡地」とだけ見ると、少し視野が狭くなる。
八幡市では東部で物流・産業、橋本では駅周辺・住宅、石清水八幡宮駅周辺では観光・交流というように、地域ごとに土地利用の変化が進んでいます。
八幡市は現在、石清水八幡宮駅周辺を市の重要な拠点の一つとして位置付けている。
2026年3月には「石清水八幡宮駅周辺グランドデザイン」を策定した。
市は、この地域について、かつて石清水八幡宮の門前町として栄え、市の玄関口としての役割を果たしてきた一方、人口減少、少子高齢化、駅の乗降客数減少、店舗閉店などによって地域の活力が低下していると分析している。
その一方で、訪日外国人の増加や広域交通網の整備によって、今後のポテンシャルが高まる地域とも位置付けている。
さらに2026年5月には、グランドデザインを具体化するための「石清水八幡宮駅周辺まちづくり基本構想策定支援業務」の公募も始まっている。
つまり、旧ツジトミ跡地がある地域は、今後のまちづくりを考える対象エリアそのものなのだ。
八幡市では今後もさまざまな場所で土地利用の変化が見込まれています。
→「八幡経済圏の物流企業DB」
橋本駅前も動いている
そして、八幡市の北側を見ると橋本駅周辺でも開発が進んでいる。
八幡市は橋本駅周辺を「交流拠点」と位置付け、駅前広場や周辺道路の整備を進めてきた。
2024年1月には最終形のロータリーの使用を開始し、その後もバリアフリー対応の施設などの整備を進めている。
また、橋本駅前地区は市の地区計画の対象にもなっている。
つまり、石清水八幡宮駅だけが動いているわけではない。
八幡市北部では、
橋本駅周辺
↓
石清水八幡宮駅周辺
という二つの駅周辺で、それぞれ異なる形の都市整備が進んでいる。
リベロは、その二つの駅の間にある
ここでホテル リベロに戻る。
リベロがある橋本尻江周辺は、橋本駅と石清水八幡宮駅の中間に位置する。
つまり、リベロを「人の来ない場所にある廃ホテル」とだけ考えるのは少し違う。
周辺では現在も住宅開発が行われている。
2026年には橋本尻江で9戸規模の新築分譲が販売され、土地面積113~135㎡程度、価格2,480万~2,780万円程度の住宅が供給されている。橋本駅と石清水八幡宮駅の双方が徒歩圏となる物件も見られる。
さらに周辺には既存住宅も多く、橋本駅前の整備と石清水八幡宮駅周辺の再整備が同時に進んでいる。
そう考えると、リベロの土地は「価値がないから放置されている」と単純には考えられない。
むしろ、
「この場所をどう使えばいいのか」
という問いの方が重要になる。
リベロの土地には、別の可能性もある
もちろん、実際の土地面積や所有関係、用途地域、容積率などを登記・都市計画情報まで精査しなければ、具体的な収益性は判断できない。
それでも、現在の周辺状況を見る限り、住宅用地としての需要を考えることはできる。
例えば、一定規模の土地であれば戸建て住宅用地として分割する方法がある。
周辺で実際に新築住宅が販売されていることを考えれば、「住宅地として売る」という選択肢自体は現実的だ。
さらに、土地の規模や法規制、採算条件が合えば、集合住宅など別の利用方法も考えられる。
もちろん、これはリベロ跡地に実際にマンション計画があるという話ではない。
現時点で確認できる開発計画でもない。
あくまで「現在の周辺の土地需要から見た場合、建物を解体して土地として再利用する余地があるのではないか」という考察だ。
だからこそ、長年建物が残っていることが興味深い。
リベロは「壊せない土地」なのか、それとも「動かしていない土地」なのか
リベロについて考えられる理由はいくつもある。
解体費が高い。
建物の処分が面倒。
所有者が土地を急いで売る必要がない。
権利関係が複雑なのかもしれない。
土地を売るより、そのまま持っている方がいいと考えているのかもしれない。
あるいは、過去に再開や改装を試みたものの、事業として成立しなかったことで、その後の判断が止まっている可能性もある。
2010年ごろの地域掲示板には、リベロについて改装工事が途中で止まったとの書き込みが残っている。
ただし、なぜ改装が止まったのかについては、確実な資料がない。
だから「資金がなかった」「住民の反対で断念した」などと一つの理由に決めつけることはできない。
むしろ、
「これだけ時間が経っても、なぜ土地利用が変わらないのか」
という疑問そのものを残しておく価値がある。
リベロの現状を記録しておく意味
ここは、八幡ビジネス通信としても重要な部分だと思う。
リベロは単なる廃墟として扱うこともできる。
しかし、そうしてしまうと、
「怖い建物がある」
で話が終わってしまう。
実際には、その建物がある場所は橋本と石清水八幡宮駅の中間にあり、周辺では住宅開発が進み、二つの駅周辺で都市整備が進められている。
そうした地域の変化の中に、長期間使われていない建物が残っている。
これは地域の土地利用を考えるうえで、かなり興味深い存在だ。
現在の建物がいつまで残るのかは分からない。
数年後に解体されるかもしれない。
住宅地になるかもしれない。
別の事業者が取得して再利用するかもしれない。
あるいは、しばらく今の状態が続くかもしれない。
だからこそ、今の状態を記録しておく意味がある。
→「【赤色巡りレポ⑧-Part3】 八幡・橋本遊郭 【京阪の水運で栄えた色街】」
そして、この記事自体が「次の所有者」への情報になる
リベロについて、現在の建物の状態だけを書いて終わらせる必要はない。
所在地。
これまでの営業・改装の経緯。
現在の法人情報。
周辺の住宅開発。
橋本駅前の整備。
石清水八幡宮駅周辺の再整備。
土地利用を考える際に確認すべき都市計画上の条件。
そうした情報を整理しておけば、将来この土地を調査する事業者や不動産関係者にとっても、過去を調べる入口になる。
「この土地には以前、何があったのか」
「なぜ長期間建物が残っていたのか」
「周辺は現在どう変わっているのか」
それが一つの記事で分かれば、YBTは単なる地域ニュースではなく、地域の土地・企業・建物の履歴を残すデータベースとして機能する。
それは、結果的に地域にとっても悪いことではない。
建物がいつかなくなったとき、その土地を検討する人が過去の情報を探しやすくなる。
地域住民にとっても、「あの場所が今後どうなるのか」を考える材料になる。
ツジトミとリベロは、正反対に見えて実は同じ問題を抱えている
ツジトミは会社が破産し、最終的に建物がなくなった。
リベロは営業を終えて長期間経っても、建物が残っている。
一見すると正反対だ。
しかし、どちらにも共通しているのは、
「企業が活動を終えた後、その土地をどうするのか」
という問題だ。
ツジトミでは、会社の経営危機と破産によって土地・建物を処分する必要性が高まった。
うれしのという長年営業してきた旅館が残っていたため、建物の処分までには別の事業者の事情も絡んだ可能性がある。
最終的には建物が解体され、土地は更地となり、現在は駐車場や売土地として次の利用者を待つ段階に入っている。
リベロでは、会社が存続していることもあり、同じような処分圧力が働いていない可能性がある。
しかし、周辺では住宅開発が進み、橋本駅前も動き、石清水八幡宮駅周辺もこれから大きく変わろうとしている。
土地そのものの価値や利用可能性を考えれば、「なぜこの場所だけ長期間動かないのか」という新しい疑問が生まれる。
「消えた会社」を追うと、その先に土地の物語がある
企業が廃業すると、その会社の記事はそこで終わりになりやすい。
しかし、本当に街の変化を追うのであれば、そこから先を見る必要がある。
会社がなくなった。
建物はどうなった。
土地は誰が使うようになった。
周辺には何ができた。
行政はその地域をどう変えようとしている。
その変化の中で、まだ残っている建物は何なのか。
ツジトミ跡地では、スーパーがなくなり、うれしの旅館も姿を消した。
建物は解体され、更地になり、現在は駐車場として利用されている。
一方、リベロは長期間残っている。
しかし、その周辺では住宅が増え、橋本駅前の整備が進み、石清水八幡宮駅周辺でも新しいまちづくりが始まっている。
つまり、リベロが残っていること自体も、八幡市の街が変化している中で起きている現象なのだ。
廃業した建物を見ることは、過去を見ることではない。
その土地がこれから何になるのかを見ることでもある。
そして、今残っている情報を記録しておくことは、将来その土地が動いたときに、「そこには何があったのか」をつなぐ役割にもなる。
八幡市の街を見ていくなら、消えた会社だけでなく、消えた建物、残っている建物、そしてその土地が次に何へ変わるのかまで追っていきたい。


